お彼岸とは何か(禅寺僧侶による解説)

この記事は禅寺僧侶の立場から、お彼岸について解説します。

お彼岸とは何か

教科書的には、仏教では此岸(しがん)を迷いの世界(私たちが生きている世界)彼岸(ひがん)を悟りの世界(仏の世界)、と位置づけています。
つまり、彼岸とは、『悟りの世界に思いを向け、自らの行いを見つめ直す期間』、ということが言えるかと思います。

春分の日と秋分の日、を中心とする7日間をお彼岸と呼びます。なぜ春分・秋分か。

仏教では、西方極楽浄土、という考えがあります。春分・秋分の日は、太陽が真西に沈みます。

昔の人は、西の彼方に極楽浄土がある、と考えました。そのため春分・秋分は、彼岸と此岸が最も近づく時、と考えられるようになりました。これは日本仏教独特の発展です。

なぜお彼岸にお墓参りをするのか

当たり前ですが、祖先を供養するため、です。ではなぜお彼岸にお墓参りをするのか、ということですが、お彼岸の本来の仏教的中心は

実は六波羅蜜(ろくはらみつ)です。これは修行の一種ですが、山にこもるような肉体的に厳しい修行ではなく、人としてより良く生きるための実践をしましょう、ということです。布施 持戒 忍辱 精進 禅定 智慧、の6つです。これらを実践し、彼岸(悟り)を目指す期間でした。そこへ日本人の祖先供養文化が融合し、お墓参りが定着しました。

子孫側から考えると供養を行う、良い機会が年2回訪れる、ということかもしれません。

なぜ何百年も続いてきたのか

基本的には現世利益があるからであると思います。人間は利益がないことは行いません。信仰による利益と実際の利益(実利)があるからであると思います。

『人間は考える葦である』、という名言を残したデカルトは、著名人が集うサロンで神は本当にいるのか、という議論になった際、神がいようといまいと信仰を持った方が良い、と述べました。そのことにより規律・節制、視点の高さ等が生まれ、人生に良い影響が生まれるというロジックです。

供養によって最も変化するのは、亡くなった方ではなく、生きている私たち自身なのかもしれません。

上記でも書きましたが、信仰を持つことにより、神仏がいようといまいと人生は良い方向に行くかと思います。さらに都合の良いことに神仏というエネルギー体は存在するようです。二重の意味で信仰を持つ(供養含む)ことは自分自身の人生を繁栄・発展させるためには必要なものではないかと考えられます。

実利があるから続いていくのだと思います。

まとめ

お彼岸は、春分と秋分の時期にご先祖様を供養する行事として広く親しまれています。

しかし、その由来をたどると、お彼岸は本来、六波羅蜜を実践し、自らの生き方を見つめ直すための期間でした。

日本ではそこに祖先を敬う文化が重なり、お墓参りや仏壇へのお参りという形で今日まで受け継がれてきました。

お彼岸とは亡き人のためだけの日ではないと思っています。

ご先祖様を思い出し、感謝し、自らの生き方を振り返る。

その時間こそがお彼岸の大切な意味ではないでしょうか。

お彼岸が何百年も続いてきたのは、亡き人とのつながりを感じると同時に、生きている私たち自身の心を整える機会でもあったからだと思います。そして忘れてはならないのは、私たちが生きていくための実利です。

【御参考】
海洋散骨:シーセレモニー|小型クルーザーでの家族だけの海洋散骨
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